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モーツァルト 「交響曲第40番」 [CLASSIC]

以前、何かのテレビ番組で、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が、「人生の最後に聴きたい曲は?」とのインタビューに、ちょっと間をおいて、「モーツァルトの40番かな」と答えていた。
彼のキャラクターと相俟って、聞き様によってはキザに聞こえなくもないが、癌に侵されていることを公表し闘病中の身でもあっただけに、切実なリアリティが感じられたのも事実である。

かの小林秀雄が、若き日に道頓堀を歩いていると、俄かに「ト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」というエピソードは、かつての文学少年少女には存知のところであろうが、ここでいう「ト短調シンフォニイ」こそが、他でもない、交響曲第40番なのである。
このとき突然鳴ったという「テエマ」が、第1楽章でなく第4楽章のそれであったというところに、“神様”の“人間臭さ”が窺える。
もしも、モオニング娘。の曲が突然鳴っていたなら、きっと「シャボン玉」あたりだったに違いない。


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)









「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」

モーツァルトについて、おそらく日本で最も有名なこの評言を遺したのもまた、かの人である。
秀逸なキャッチコピーとして、今でも十分に通用するであろうこの名文句に魅せられて、モーツァルトに触れた方も少なくあるまい。

誤解している向きも多いようだが、この評はなにも交響曲第40番に対して為されたわけではない。
その辺の話については次稿に“キー”を譲るものとするが、ただ、「疾走するかなしさ」との喩え自体は、交響曲第40番に対するものとしても、違和感なく受け入れられよう。
事実、モーツァルトは前の交響曲を仕上げた直後に最愛の娘を亡くしているが、それから一月も経たぬうちに、この曲を完成させているのである。
か細い絹糸のごときストリングスで織り上げられた第1楽章テーマの、あの艶やかな旋律の裏に、モーツァルトの気も狂わんばかりの慟哭を聞いた方もおられよう。
「モオツァルトのかなしさ」は、このシーンでも間違いなく五線譜を駆け抜けているのである。

件のインタビューを観て以来、自分が同様の質問をされた場合を考えている。
心穏やかに“その時”を迎えんがために、目下のところ、マーラーの交響曲第5番 [アダージェット] が最右翼だが、聴けば聴くほどに、この「ト短調シンフォニイ」は捨てがたい。

いずれを選ぶことになるにせよ、質問には“ちょっと間をおいて”から答えることにする。
ちょっとキザな、某ジャーナリストよろしく…


モーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

モーツァルト:交響曲第40番/第41番

  • アーティスト: カラヤン(ヘルベルト・フォン),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

[晴れ]

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