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薔薇に魅せられし者 「ルドゥーテ」 [ART]

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『薔薇空間』と銘打たれたその絵画展は、一般的な西洋画展とは、少々趣が異なっていた。
薔薇をモティーフとした作品ではあるのだが、いわゆる静物画や風景画といった類のものではなく、細部まで精密に描かれた「博物画」ないし「ボタニカルアート」と呼ばれる範疇のものである。
植物図鑑などで目にする、あれである。

かように説明すると、言下に無機的な『空間』が広がりそうだが、さにあらず。
華やかさを引き立てていた背景を奪われ、微細な瑕疵を覆い隠していたマチエールを削がれ、そして何にも増して、描き手の独善的な主観で飾り立てられたイメージの衣を剥ぎ取られて無防備な姿態を晒した時、その赤裸な花塊は、にわかに匂い立つ。

名著『エロティシズム』に澁澤龍彦のいう、「花とは植物の性器である」との一節が、俄然リアリティを帯びてくる。


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    (ロサ・ムスコーサ・ムルティプレックス)
                

では、翻って考えるに、同じく対象のあるがままを描写する写実主義は、これと同質か。
否。
写実主義の手法は、喩えるならば、予め誂(あつら)えられた裸体を写し取る作業に他ならない。
纏っていた薄衣を一枚一枚剥ぎ取るプロセスは、そこには無い。
ラトゥールの薔薇も嫌いではないが、ことエロティシズムを論ずる限りにおいては、ボタニカルアートに分があると言わざるを得ない。

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(参考) 「花瓶に活けた薔薇と金蓮花」 F.ラトゥール


展示作品の多くは、稀代の薔薇蒐集家で知られるナポレオン王妃ジョゼフィーヌが、自らのコレクションのデータベースを構築せんがため、お抱えの絵師に命じて描かせたものである。
その絵師こそが、後に“薔薇の画家”として名を馳せる、ルドゥーテであった。

そも、ジョゼフィーヌの真意が、後世の学術や芸術に資することであったか、はたまた、単に虚栄心を満たすためであったかは定かではないが、一流の宮廷画家である前に一介の薔薇の虜にすぎぬルドゥーテにとってそれは取るに足らぬ話で、愛する花々を自由に描く機会を与えられた現実こそが、無上の喜びであったに違いない。

まさに水を得た魚のごとく、ルドゥーテの創作活動は意欲的に続けられ、そして十数年の後、それは3巻からなる作品集『バラ図譜』に結実する。
いや、 “結実させた”と言うべきか。
と言うのも、その時すでに後ろ盾たるジョゼフィーヌは亡く、無援のルドゥーテは自腹を切ってまでして、ようやく出版にこぎつけたのである。

再び澁澤のレトリックを借りるならば、「薔薇でなくて、人はどんな花にこれほど一途になれるだろうか。」ということになろうか。

さらば、この妖しい『空間』を漂う私としては、エロティシズムがどうの写実がどうのと能書きを並べる前に、ただただ素直に、官能に身を委ねればよいのであろう。
かつての画家が、その花の魔性に魅入られた時のように…


薔薇空間 宮廷画家ルドゥーテとバラに魅せられた人々

薔薇空間 宮廷画家ルドゥーテとバラに魅せられた人々

  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2009/04/09
  • メディア: 大型本

[雨]

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