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「大胯びらき」 J.コクトー (2) [BOOK]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

さて、主人公ジャックの人となりについては、冒頭からたっぷりと紙幅を割いた記述があるので、ここに興味深いその一面を紹介しよう。

「彼は潜水夫のように重い。
ジャックは海の底をほじくっている。海の底のことなら、彼にはよく分る。そこにいるのが彼の習慣になっている。誰も彼を水面に引っ張り上げてはくれない。人々は彼の存在を忘れているのだ。水面に浮き上がって、潜水兜や潜水服を脱ぐことは、生から死への転化である。しかし、一本の管から送られて来る非現実的な空気が、彼を生かし、ノスタルジーを満たしてくれる。」

要するに、精神的な 「ひきこもり」 である。
精神的、と言うのには理由がある。
ジャックは年増女からの誘惑、友カノとの過ち、さらには劇場随一の人気女優との恋…
行動として、ヤルこたぁしっかりヤッているのだ。

「すべてが一緒に動く時、見かけの上では何も動かない。」
との、何やら物理の法則めいた一節が、しばらく後に登場する。
思考上の慣性の法則により止(とど)まっている “今在る時点” は、時間の経過と共に進化を続けている参照系にあっては、すでに過ぎ去ってしまった一時点である。
それを知ってか知らずか、ジャックは相も変わらず 「海の底をほじくっている」 のである。

それにしても、ジャックの拠りどころが「一本の管から送られて来る非現実的な空気」 とは、まるで今日のネット社会の病理をも見通しているかのような、なんとも巧妙な喩えではないか。
社会化・文明化のプロセスで生ずる個人の籠殻現象は、時の古今を問わず、喉元に引っ掛かった小骨のように、心の健康に無頓着な文明社会に不気味な存在感を主張する。


cocteau-3.jpg


「たえず傷ついている運命の持主」 たる主人公ジャックに、コクトーが自身を投影していたであろうことは、前に澁澤の解説を引いて述べた。
では、自らの意思でその訳稿を起こした若き日の澁澤に、はたしてジャックへのシンパシーは無かったか。
“異端” などと称される一匹狼的なイメージと表裏して、常に繊細で寂しがり屋の一面が見え隠れしていた澁澤もまた、実は 「ガラスの種族」 ではなかったであろうか。



大胯びらき (河出文庫)

大胯びらき (河出文庫)

  • 作者: ジャン コクトー
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2003/07
  • メディア: 文庫

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