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「薬指の標本(映画)」と「ホテル・アイリス(小説)」 2 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

二人の大人は、それぞれのやり方で、彼女たちを思うままに、しかし丁寧に扱った。
母親の呪縛を振り払うかのように着衣を脱ぎ捨てたマリは、初めての感情に戸惑いながらも、老紳士の命ずるまま、その足元に跪く。
一方のイリスも、標本師が与えた深紅の革靴に諸足を預けて、冷たいタイルにその裸身を横たえた。
日常からの脱却―
少女から大人への脱皮―
要求の受け手としての存在意義―
傍目には従属を強いられているような特異な関係性も、決して彼女たちの厭うところではなかった。


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「履き心地がよくても、履きすぎはダメだ」
ある日、イリスに靴磨きの男が忠告する。
「さもないと、足を失うことになる。
足と靴の間にほとんどゆとりがない。
その靴が足を侵し始めてる証拠だ」
イリスは答える。
「自由になりたくないの」

頑なとも思えたそんなマリとイリスの心に波紋を立てたのは、やはりと言うべきか、若い男との出会いであった。
男たちを鏡に、二人はそれぞれに己の心と向かい合う。
やがて在るべき場所へと戻ったマリとイリスは、しかし精神的束縛を拠りどころとしていた以前の彼女たちではなかった。
二人は自らの意志で、新たな一歩を踏み出す決意をするのである。


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さて、ここからはあくまでも私見であるが、この二作品を見る限りにおいて、実は小川氏自身もフランス映画、ことにルイス・ブニュエルあたりの作品に何らかのインスピレーションを得ていたのではないだろうか。
ブニュエル作品について、かの澁澤龍彦は「とりわけサディズムとフェティシズムが、その映画的世界の本質的な構成要素をなしている」と説いている。(※)
今回取り上げた作品でも、例えば老紳士は、ときにマリの頬を打ち据え、あるいは髪を掴み、引き擦り回すことでその深い愛を伝えようとしているし、また、標本師が強要した革靴は、件の靴磨きの指摘のごとく、イリスから心の自由を奪う文字どおりの“足枷”となっている。
加えて、標本師がイリスに革靴を履かせながら陶酔する様などは、ブニュエルの『小間使の日記』に登場する靴フェティシストの老主人そのものではないか!
これら以外にも、無機質な実験器具の扱いや人肌を這う粘液の演出など、ブニュエル作品との共通点は少なからず見受けられるのである。

澁澤はまた、ブニュエル作品の世界観を「汎性欲主義的でしかも禁欲主義的」とも評している。(※)
おそらくはこのパラドックスが、前稿に情緒的に述べた“静謐なエロティシズム”の論理的な解釈であり、同時に、小川作品の世界観をより奥深く、より魅力的なものにしているに違いない。

※「ルイス・ブニュエルの汎性欲主義」より
 (『スクリーンの夢魔』 『澁澤龍彦 映画論集成』 収蔵)


☆薬指の標本 [DVD]

☆ホテル・アイリス (幻冬舎文庫)


澁澤龍彦映画論集成 (河出文庫 し 1-53)

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  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/05/30
  • メディア: 文庫

小間使の日記 [DVD]

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  • メディア: DVD

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