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「惡の華」 1 [MOVIE&DVD]

といっても、ボードレールではない。
その有名な詩集をモティーフとしたアニメ(原作は漫画)である。


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「体操着の盗難から始まった奇妙な三角関係は、思わぬ事態に発展する」
原作コミックのCMナレーションを借りれば、こういうことになる。
漫画やアニメではもはや珍しくもない、思春期の不安定な精神状態をコントロールできずにいる中学生の物語である。
そんなありふれたテーマを扱った本作が、同種の鬱アニメとどう差別化が図られているのか、ここでは三つのポイントについて考えてみたい。

まず初めに、ロトスコープの採用について。
ロトスコープとは、実際にカメラで撮影した映像をトレースし、アニメ化する手法のことである。
最近でこそデジタル技術の進化に伴い採用される作品は増えたものの、手間やコストの面からまだ部分的導入に止める作品が多く、全編がこの手法により制作された『惡の華』は、その点でも話題となった。
実写ともセルアニメとも明確には分類できないロトスコープの映像的不安定感は、こちらも狙いであろう、およそ滑らかとは言い難い新人声優のセリフ回し、すなわち音声的不安定感と相乗的に作用することで主人公の動揺はことさらに強調され、ついには鑑賞者の精神的不安定感に帰結するのである。
この辺りの心の揺らぎを楽しめるかどうかで、作品の好嫌が分かれるのかもしれない。

〔実写とロトスコープの比較動画〕
https://www.youtube.com/watch?v=XzowrXQK0Nc
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「ハナガ、サイタ、ヨ」
耳元でいきなりつ・ぶ・や…呟かれるようなEDは、コアなアニメファンにも少なからず驚きをもって迎えられたようだが、主人公ごとに作られたOPもまた、これに劣らぬ傑作である。
それぞれの名をタイトルに冠した楽曲において、あるはその真情を切々と吐露し、あるは渇欲を滔々とまくし立てる。
私を含め、かねてから作品の中身とはなんら関わりのないタイアップの横行に辟易していたアニメファンにとっては、正しく作品とリンクした楽曲が、しかも4パターンも用意されたというのは驚嘆すべき偉業であり、拍手を送りたい。
さらに、そんな力作も3話ごとに切り替わってしまうのでは印象に残らないのではないかとの浅慮をよそに、サビに同じメロディラインを用いるという至極真っ当なギミックによって、観る者の意識に怪しい“華の種”を植え付けることにも成功しているのである。
前述した奇怪なED、エフェクトの靄の中、ピアノが切なく響くBGMなどと共に、これら音楽による世界観の創出を二つ目のポイントに挙げたい。

〔「惡の華」OPメドレー〕
https://www.youtube.com/watch?v=XffiBZ5PD-0
(映像は楽曲制作アーティスト「宇宙人」のMVです)


そして、最後にして最大のポイントは、やはり“ボードレールの『惡の華』であった”という一事に尽きるであろう。
この点について語るには、ボードレールその人およびその詩集の何たるかに踏み込まざるを得ず、この場で多くに言及するのは難しいので、それらについては別の機会に記事を上げることとして、ここでは簡述するに止め措く。

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そも、この詩集には125篇(第2版)の詩が収録されている。
ボードレールを知る上では、むろんどの一篇とて疎かにはできないが、なかんずく、このアニメと絡めて着目したいのは、二人の女性をモティーフとした30篇余りの詩である。
一人はボードレールと20年に渡って同棲していた混血の肉感的な女性で、もう一人は詩人が崇拝の対象ともした才色兼備のセレブリティである。
詩人は前者との交際のさ中であるにも拘らず、後者の女性に思いを募らせていた。
優等生の佐伯奈々子には魅かれながらも漠たる距離を感じ、奔放な仲村佐和には弄ばれながらもシンパシーを覚える…
二人の狭間で揺れるそんな春日高男の姿は、心の内に様々な矛盾を抱え、そのどちらにも身を委ねんとした詩人の姿に、痛ましくもそのまま重なるのだ。
ボードレールでなければ、『惡の華』でなければならなかった理由の一つが、ここにある。
                             (つづく)

「惡の華」公式サイト
http://akunohana-anime.jp/


『惡の華』Blu-ray 第一巻

『惡の華』Blu-ray 第一巻

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • メディア: Blu-ray

悪の華 (新潮文庫)

悪の華 (新潮文庫)

  • 作者: ボードレール
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1953/11/03
  • メディア: 文庫

[曇り]

「薬指の標本(映画)」と「ホテル・アイリス(小説)」 2 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

二人の大人は、それぞれのやり方で、彼女たちを思うままに、しかし丁寧に扱った。
母親の呪縛を振り払うかのように着衣を脱ぎ捨てたマリは、初めての感情に戸惑いながらも、老紳士の命ずるまま、その足元に跪く。
一方のイリスも、標本師が与えた深紅の革靴に諸足を預けて、冷たいタイルにその裸身を横たえた。
日常からの脱却―
少女から大人への脱皮―
要求の受け手としての存在意義―
傍目には従属を強いられているような特異な関係性も、決して彼女たちの厭うところではなかった。


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「履き心地がよくても、履きすぎはダメだ」
ある日、イリスに靴磨きの男が忠告する。
「さもないと、足を失うことになる。
足と靴の間にほとんどゆとりがない。
その靴が足を侵し始めてる証拠だ」
イリスは答える。
「自由になりたくないの」

頑なとも思えたそんなマリとイリスの心に波紋を立てたのは、やはりと言うべきか、若い男との出会いであった。
男たちを鏡に、二人はそれぞれに己の心と向かい合う。
やがて在るべき場所へと戻ったマリとイリスは、しかし精神的束縛を拠りどころとしていた以前の彼女たちではなかった。
二人は自らの意志で、新たな一歩を踏み出す決意をするのである。


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さて、ここからはあくまでも私見であるが、この二作品を見る限りにおいて、実は小川氏自身もフランス映画、ことにルイス・ブニュエルあたりの作品に何らかのインスピレーションを得ていたのではないだろうか。
ブニュエル作品について、かの澁澤龍彦は「とりわけサディズムとフェティシズムが、その映画的世界の本質的な構成要素をなしている」と説いている。(※)
今回取り上げた作品でも、例えば老紳士は、ときにマリの頬を打ち据え、あるいは髪を掴み、引き擦り回すことでその深い愛を伝えようとしているし、また、標本師が強要した革靴は、件の靴磨きの指摘のごとく、イリスから心の自由を奪う文字どおりの“足枷”となっている。
加えて、標本師がイリスに革靴を履かせながら陶酔する様などは、ブニュエルの『小間使の日記』に登場する靴フェティシストの老主人そのものではないか!
これら以外にも、無機質な実験器具の扱いや人肌を這う粘液の演出など、ブニュエル作品との共通点は少なからず見受けられるのである。

澁澤はまた、ブニュエル作品の世界観を「汎性欲主義的でしかも禁欲主義的」とも評している。(※)
おそらくはこのパラドックスが、前稿に情緒的に述べた“静謐なエロティシズム”の論理的な解釈であり、同時に、小川作品の世界観をより奥深く、より魅力的なものにしているに違いない。

※「ルイス・ブニュエルの汎性欲主義」より
 (『スクリーンの夢魔』 『澁澤龍彦 映画論集成』 収蔵)


☆薬指の標本 [DVD]

☆ホテル・アイリス (幻冬舎文庫)


澁澤龍彦映画論集成 (河出文庫 し 1-53)

澁澤龍彦映画論集成 (河出文庫 し 1-53)

  • 作者: 澁澤 龍彦
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/05/30
  • メディア: 文庫

小間使の日記 [DVD]

小間使の日記 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東北新社
  • メディア: DVD

[晴れ]
[更新履歴]
'12.03 表現の一部修正

「薬指の標本(映画)」と「ホテル・アイリス(小説)」 1 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

今回、小川洋子の映像作品と文芸作品とをリンクさせたのに、特別な意味がある訳ではない。
自然な成り行き…である。

“小川洋子原作の小説を、フランス人監督が映画化!”
レンタルビデオ店で、『薬指の標本』という作品に添えられたこんなPOPを見たとき、私は少なからず興奮を覚えた。
「我が意を得たり!」だったのである。
というのも、何年か前に『ホテル・アイリス』を読んだ折り、私の頭の中には、その時点で印象付けられていた―おそらくは偏った―フランス映画のイメージが広がっていたのである。

いつにも増して暑かったその夏、少女マリが経験する秘め事にくっきりと陰影を付ける強い日差しは、友人を手にかけたトムを苛む『太陽がいっぱい』のそれであり、また、年老いた紳士のアブノーマルな要求に懸命に応えようとするマリの姿は、“肉体を脱ぐこと”を強いられながらも次第に画家に心酔してゆく『美しき諍い女』のマリアンヌと重なる。

ひとつ間違えば低俗との謗りを免れないエロティックなシーンも、繊細な心情描写と、小川作品の信奉者たる友人が強く主張する「美しい文章」とやらに浄化され、純文学の高みへと昇華する。
かような性格の作品を映像化するには、一部の例外はあるにせよ、耽美主義の香り漂う“静謐なエロティシズム”を得意とするフランス映画を措いてほかにないと確信していたのである。
『薬指の標本』は、その意味において期待を裏切らなかった。

事故により薬指の先端を失ったイリスの新たな仕事場は、町はずれの標本工房であった。
舞台からしてフェティッシュなエロティシズムを予感させるこの作品は、多分に『ホテル・アイリス』と世界観を共有している。

「アイリス」のマリ同様、イリスも孤独であった。
人付き合いが無いわけではないが、さりとて得意でもない。
自らが日常に埋没してしまっている虚しさを感じながらも、あえてまで現状に抗うこともしなかった。
そんな日々の中で、マリは老紳士と出会い、イリスは標本師と出会った。
                                 (つづく)

薬指の標本 SPECIAL EDITION [DVD]

薬指の標本 SPECIAL EDITION [DVD]

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • メディア: DVD

ホテル・アイリス (幻冬舎文庫)

ホテル・アイリス (幻冬舎文庫)

  • 作者: 小川 洋子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 文庫

[晴れ]
タグ:映画

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

いつもと変わらぬ正月を実家で過ごし、電車で東京に向かう。
車窓から眺める山沿いの雪は、しかし例年に比べ少ないような気がする。
長期予報では厳冬のはずじゃあ…
謹賀新年。

帰省する度に少し寂しく思うことだが、子供の頃、遥か遠く仰ぎ見ていた山が意外と近くにあったり、流れに足を取られながらようよう渡った川が、さほど大きくなかったり。
時間の流れもそう。
果てしなく続くと思われた50分なんて授業時間、ヘタすりゃ“魚群”を一度も拝めぬうちに過ぎてしまう。

情緒的には、もちろんどちらの感覚も正しい。
にもかかわらず、私たちは今の、大人の価値観でしか物事を判断できなくなっている。
大人として日常を過ごす以上、仕方のないことだが、やはり寂しいことではある。


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『SPACE BATTLESHIP ヤマト』 ―
率直に言って、ツッコミどころは満載である。
なんとなく華奢なヤマトに、どことなく安っぽい第一艦橋。
あっという間のイスカンダル到達、そして帰還。
拙速な古代と雪のラブストーリー。
…etc.

なぜ、このような評価になってしまうのだろう。
元のアニメが、社会現象になるほどの名作だったということが、ハードルを上げてしまっているのか。
それとも、本当に観るに値しない作品だったのか。

「答えはイエスであり、ノーである。」
デスラーの言葉を借りれば、そういうことなのだろう。
この作品を、大人の価値観の下に切って捨ててしまうのは容易い。
しかし、それは同時に、大人になって近く感じた山や小さく思えた川に対して、あるいは矢のごとく過ぎ行く時間に対して、「こんなはずじゃなかったろ!」とツッコむような虚しさも孕んでいる。
そう、むしろこちらの感受性の問題ではないのか…

実のところ、大人としてもマイナス評価ばかりではない。
売りであるVFXのレベルは高く、特にドッグファイトは見応えがある。
後々の展開に絡めて巧みに打たれた布石は効果的に作用し、時間的な制約の中、物語の密度をより濃いものとした。
あまり評判のよろしくないキャスティングだが、個々の熱意、チームとしての一体感は伝わってくる。
(ミイくんの迷演技に至っては、助演男優賞モノであろう。)
新作の名誉を放棄した “宮川泰オマージュ” とも言うべき挿入曲は、眠っていた “その世代” のノスタルジーを激しく揺り起こした。
まさに、「ヤマトか…、何もかも皆、懐かしい」 である。

とは言うものの、純粋にこの映画を楽しむには、やはり “童心” に返るのが一番のようだ。
「ヤマトに乗りたい!」 と、しゃくり上げながらCMに登場した、あの愛すべき少年のように…
裏山を遠く仰ぎ見、せせらぎと格闘していた、あの頃の自分のように…

[評価] ★★★☆☆

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 公式サイト
http://yamato-movie.net/index.html

SPACE BATTLESHIP ヤマト スタンダード・エディション 【DVD】

SPACE BATTLESHIP ヤマト スタンダード・エディション 【DVD】

  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • メディア: DVD

[晴れ]

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タグ:映画

「ラーゼフォン」 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

音楽をモティーフにした一風変わったロボットものがあると、アニメ好きの友人に紹介されたのは、いつだったろう。
そのときは特に食指が動かなかったのだが、ふと思い出し、観てみることにした。

“音楽” “ロボット”と聞いて、まずイメージするのは「マクロス」。
そして、「エウレカセブン」、「アクエリオン」というあたりが、アニメの知識が乏しい私には限界である。
さて、『ラーゼフォン』とやらは…


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私個人としては、感動的な幕開けであった。
と言っても、これは作品の内容に因るものではなく、ただ単にタイミングの問題である。
第1話冒頭、登場人物がヘッドフォンで聴いていた曲が、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だったのだ!
(拙ブログ前稿参照 (^^ゞ )

制作者サイドのお遊びにいちいち突っかかるのも癪なので、遙“大尉”が、どっかの“一尉(後に三佐)”と被って見えたり、エルフィのクロスペンダントに見覚えがあるのはさておくとしても、そのヴィジュアルや搭乗シーンからして、連想しないわけにいかないのは『勇者ライディーン』。
ただ、それほど酷似しているにもかかわらず、“パクリ”という印象を与えない手際は見事である。
評判の映像美のなせる業であろうか…

描かれている世界観は、決して嫌いではない。
ラーゼフォンをはじめとするロボット及び兵器のデザインも、舞台と自然に調和していて、魅力的である。
『帰って来たウルトラマン』の光怪獣「プリズ魔」を彷彿とさせる、いくつかのドーレムの登場シーンについても、なかなかに幻想的で気に入っている。
話に聞いていたとおり、随所に音楽的な要素が散りばめられてはいるが、“モティーフ”という程のテーマ性を示せていたかどうかについては、疑問が残るところである。

微妙に時間軸のずれた異空間が、日常の生活圏に隣接しているという設定は、ともすれば抽象世界に陥りがちなストーリーに輪郭を与える上で効果的であった。
綾人と遙、玲香の関係を通して、常にタイムパラドックスを意識することになる。

ただひとつ、ケチを付けさせてもらうならば、神名麻弥のCVはいただけない。
これがキャラクターなのだ、個性なのだ、と自らに言い聞かせても、最後まで違和感は払拭できなかった。
“感情を表に出さない話し方”と“棒読み”とは、そのセリフに宿る生命力において、まったくの別物なのである。

世は言霊に満ちて…

[評価] ★★★☆☆


ラーゼフォン 第1巻 [DVD]

ラーゼフォン 第1巻 [DVD]

  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • メディア: DVD

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劇場版 「涼宮ハルヒの消失」 [MOVIE&DVD]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

フランスの詩人、ジェラール・ド・ネルヴァルは、遺作『オーレリア』の冒頭において、次のように述懐しているが、『涼宮ハルヒの消失』は、およそこんな物語である。

夢は第二の人生である。
私は、眼に見えない世界からわれわれをへだてている象牙もしくは角でできた扉を、戦慄を覚えずにくぐることができなかった。
睡眠の最初の数瞬は死の映像である。
どんより曇ったような麻痺がわれわれの思考をとらえる。
しかもわれわれは、「自我」が異なる姿で存在しつづけようとするその瞬間を正確にとらえることができない。
それは薄暗い地下である。
次第に明るみを増してゆくにつれて、辺獄(リンボ)に住む人々の重々しい動きのない姿が、闇と夜とから解き放たれて、そこに蒼白く浮かび上がってくる。
ついで舞台が現われて、一条の新しい光が、こうした異様な亡霊たちを照らし出し、演技させる。
― このようにして「精霊たち」の世界がわれわれの前にひらかれるのだ。
                    (稲生 永 「女神イシス変幻」 より)

「象牙もしくは角でできた扉」をくぐり抜けたキョンは、長門により改変させられた世界へと迷い込む。
そこに用意されていた「舞台」には、腰髪ハルヒや萌えキャラ長門だけでは飽き足らず、朝倉涼子という、文字どおりの「亡霊」まで待っていた。
こうして時空を越えて展開されることとなった「「精霊たち」の世界」も、やがては「死の映像」で幕を閉じることになる。
誤解をおそれずに言えば、綿密に仕組まれた “夢オチ” スペクタクルなのである。

また、本作とは直接関係ないが、「「自我」が異なる姿で存在しつづけようとする瞬間」とは、ハルヒの “憂鬱” による閉鎖空間の現出とも符合してはいまいか。
むろん、ハルヒの精神状態の分析がフロイトの手に負えるものでないことなど百も承知だが、いわゆる「イド」(あるいは「エス」)からの欲動と、それに対する無意識的防衛としての「自我」との葛藤が、あの閉鎖空間の現出という事象に象徴されているのであるならば、非常に興味深いアナロジーといえよう。

最後にもう一点。
クライマックスに流れるサティは、今まで耳にしたいかなるサティよりも、美しい。

[評価] ★★★★☆


「京アニ」 オフィシャルサイト
http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/


劇場版 涼宮ハルヒの消失 オリジナルサウンドトラック

劇場版 涼宮ハルヒの消失 オリジナルサウンドトラック

  • アーティスト: エミネンス交響楽団,大先生室屋ストリングス,本田聖嗣,佐々木史郎グループ,泰輝,飯室博,渡辺等,竹野昌邦,宮田繁男
  • 出版社/メーカー: ランティス
  • 発売日: 2010/01/27
  • メディア: CD


公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失

公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失

  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 単行本

[晴れ]
[更新履歴] '11.09 モバイル端末での閲覧用に改行・編集
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