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「眼球譚 〔初稿〕」 G・バタイユ 2 [BOOK]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

物語には、タイトルにもある「眼球」のほかに、「玉子」と「牛の睾丸」といったアイテムが、象徴的に登場する。
このうち「眼球」と「玉子」については、物語の主要なモチーフとして互いに関連付けられていたが、「牛の睾丸」について、著者にその意図はなかったとされている。

ところが、事実は著者の図り得ぬところにあったようである。
すなわち、これら三者は、著者の“心の闇”ともいうべき意識の深層部において、その共通のイメージゆえに密接に絡み合い、渾然となってしまっていたのである。

やがて、物語の随所に登場する「小便」がいわば“溶媒”となり、三者は個別の表象として抽出されるに至るのであるが、かような展開は、いかに著者の意識の与り知らぬところとはいえ、構成の尿…もとい、構成の妙を感じずにはいられない。

最後に、本作の象徴的なシーンを一つ、ご紹介しよう。
初夏の強い陽射しと観客の熱気にむせ返るスペインの闘牛場。
一人の若い闘牛士が牛の角に貫かれ、片方の眼球がえぐり出されている。
その光景を見ながら、客席のシモーヌは自らの性器に牡牛の睾丸を挿入する。

この場面を評するなど、フランス文学の浅瀬ですら溺れかけている私には到底かなわぬところだが、澁澤の書評にはこうある。
「性行為と犠牲、エロティシズムと死のアナロジーを説くバタイユ独特の哲学は、ここに一種の固定観念となって、がっちりしたイメージの迫持をつくり、奇怪な幻想的シーンを現出させている。」
(「マダム・エドワルダ」の書評中、「眼球譚」に関する記述より抜粋)

私が、自身の記事カテゴリーを [書評] とはしなかった所以である。

ともあれ、本作には終始「尿いきれ」とも言うべきアンモニア臭が漂っており、このテの著作に馴染みのない方にとってなかなか組みし難い作品であるということは、一言断っておく必要があろう。


眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)

  • 作者: ジョルジュ バタイユ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2003/05
  • メディア: 文庫


[晴れ][小雨]

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「眼球譚 〔初稿〕」 G・バタイユ 1 [BOOK]

※ 作品の内容に触れる記述があります。予めご了承ください。

初めて紹介するのが本書であることについて、いささかの躊躇がないわけではないが、直近に読んだのが本書なのだから仕方ない。


眼球譚(初稿) (河出文庫)









著者のジョルジュ・バタイユの名を初めて知ったのは、私の敬愛してやまない―というよりは、シコウしてやまない―澁澤龍彦の著作によってである。
仏文学者(澁澤自身はこう呼ばれる事を嫌っていたようだが…)でもある氏の著作に、バタイユの翻訳があったのである。

今回紹介する『眼球譚』は澁澤訳ではないものの、訳者の生田耕作氏は早い時期からバタイユに注目しており、澁澤とも親交があったようである。
澁澤のお友達なら、安心なのである。

物語は、語り部である16才の「私」―これは後に著者の分身であることが判るのだが―と少女シモーヌとの、主に体の交流を中心に進んでイク。
いわゆる心情を吐露するような場面はほとんど無く、主人公ほか数人のエロティックな遊戯の写実に終始する。

著者を偉大な思想家・作家と認識した上で本書に取り組む者は、あらゆるシーンにその思想や哲学を汲み取ろうとするのであるが、そんな愚拙な傍観者の存在などまるで意に介さぬように、主人公たちは己の、あるいは互いの性器をまさぐり、小便を掛け合い、交接を繰り返すのである。

時に友人の屍の傍らで…
時に僧侶を絞め殺しながら…
                              (つづく)
[晴れ]

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